人生経験豊富

人の相談に乗ってあげたりする番組ありますよね。まあ、今はテレビ見ないので、まだあるのか知りませんが、たぶんあるんでしょう。こういう番組に出ている相談役である人って、いかにも「人生経験豊富が売りです」って人が出てますが、人生経験豊富、っていったいなんでしょう?いろんな職業を転々とした人、ってことですか?長い間、大人になってもまだ、自分の向き不向きさえもわからずに迷走した人ってことですよね、それ。なんでそんな人の言うことが信じられるんだろう。そういう人のいうことを信じられる人が、相談するのかもしれない。需要と供給が入れ替わったすり替えトリック。恋愛相談も同様。相談して解決した気分になれる、いわゆる宗教的効果しかない。精神の安定のために支払う代金だろう。安価かもしれない。
と、思っていたんだけど、世の中、実は他人からなにか相談されてる人と、相談する人がいるようだ。その、それって、相談されるほうがめちゃくちゃ人が良いのか、相談するやつが頼りすぎなのか、わかりませんけど、世の中、そんなヤツがいる、ってところがわりと驚き。ホントにいるのか。テレビ見すぎじゃあないの?だって、自分の問題だよね?なんで他人がまじめに考えて答えてくれるその答えが正しいと信じられるの?自分でちゃんとまじめに考えろよ。自分の人生だろ。って思うのは僕だけ?いや、あの、たしかに僕は冷酷なので、相談なんてされないんですけど。
技術的に、技能的に、能力的に、その相談する人になんらかのノウハウが蓄積されており、つまり辞書のように引き出すのならば、相談する意味もわかります。それは「テキストにできるもの」です。逆にテキストにできないもの、情報伝達で伝わらないもの、場合によって変動が激しいもの、は、意味がない。
やっぱり話すことで安心を得る宗教的懺悔と同じシステム程度でしかないのか。