今日逃げたら明日はもっと大きな勇気が必要になるぞ

という文章が見えたので、書いておこう。
僕はそれをデブと呼ぶ。
重さ。体重のことではない。腰の重さ。足回りの悪さ。動きだしの遅さのことだ。心がデブってる。うだうだいいわけを用意して動けないのは、デブだからだ。すでに準備が整いっているのなら、それは待っているのであって、動けないのではない。動かないのだ。デブとは違う。
文章をもっと書いていかないと、うまく書けなくなってしまう気がする。実際今、ここに書かれている文章の断片化はけっこうなものだ。(ところで断片化ってHD時代の用語だからシリコンディスクになってそのうちなくなるのかな。話がずれたので戻す)
いろいろやりたいことがある。本を読んだり。絵を眺めたり。映画を見たり。音楽を聴いたり。料理をしたり。掃除をしたり。ゲームをしたり。全部はできない。やりたいことが山積みだ。だからあふれた部分は削る必要がある。体力も時間も無限ではなくなってしまった。子どもの頃は金が問題だったが、大人になると時間と体力が問題になる。きっと僕は大人になったのだろう。
だから、それに着手していないのは、逃げているわけじゃあないんだ。今日も楽しいことをしている。それには着手できなかったが、違う遊びをしている。自分はデブじゃないと必死に言い訳をしている。
こうやって無駄で無意味で非生産的な文章なら、まるでわき出るように書けるのに。
もっとエンタテイメント性に富み、多くの人を喜ばせたり悲しませたり楽しませたりする文章はなかなか書けない。その場で話が展開する大喜利ではなく、作り込まれたコントが作りたいんだ。だからそれは少しずつしか作れない。
デブで動けなくなってしまうのか。少しずつダイエットしなさい。手を動かすなら、今だ。明日はもっと大きなエネルギーが必要になる。