同じスタバなのに使える魔法が違う

スタバにて
僕「エスプレッソのドッピオ」
店員「フォームドドッピオでよろしいですか」
僕「…こっちのエスプレッソのドッピオ。普通の何もないヤツです(メニューを指さしながら)」
店員「エスプレッソだと、ワンショットとツーショットがありますが…」
僕「…ドッピオとメニューに書いてあるんだが…」
いや、なんだろうな…。全然責めるつもりはないし、店員さんが新人だったのかな。わかるよ。誰もエスプレッソなんて飲まないんだろ。スタバだけどあまーいヤツなら頼むんだろ。
客「クワトロベンティーエクストラコーヒーバニラキャラメルへーゼルナッツアーモンドエキストラホイップアドチップウィズチョコレートソースウィズキャラメルソースアップルクランブルフラペチーノ!」
店員「1070円になります!」
とかなんだろ。チクショー。みんなエスプレッソ飲め。

ダイヤモンドの輝きは

ある老婆の話をしよう。
その老婆には夫がいた。もう40年も前の話だ。夫は若くして他界した。病気がちな夫だった。夫は浪費癖があり、金はいつもなかった。だというのに客がくるといつも振る舞ってしまう、宵越しの金を持たないそんな剛気な男だった。それは苦労したものだ、と苦笑混じりにその老婆は言った。
そんな男が唯一残してくれたのがこの振り子時計だ。
手動のねじ巻式で、時間になるとその分の鐘がなる。ぼーん、ぼーん、と言った具合だ。古びていて、すぐに時間がずれてしまう時計だが、振り子のところにきらりと光る宝石が埋め込まれている。ダイヤモンドだと老婆は言った。
夫がなくなって40年もの間、新しい男も作らずに働き、子どもたちが独り立ちしていった。振り子時計はそれをずっと見ていた。おじいさんの古時計ならぬ、おばあさんの古時計。その老婆が亡くなり、今ではだれもねじを巻かない。夜中の十二時に十二回も鳴る時計は、いまどきではないのだろう。
僕がその時計を見たときに「それはダイヤモンドではないだろう」と思った。偽物だろう、と。薄ごよれていて、輝きなんてさっぱりしてない。カットだって小さいし、本物だったとしても二束三文の偽物のダイヤモンド。
だが、彼女にとっては本物だった。浪費家の夫が唯一買ってくれた振り子時計のダイヤモンド。彼女以外誰もが偽物だと思っているダイヤモンド。彼女だけが輝かせる。彼女だけに輝く。

生クリーム病

生クリーム病。僕が勝手に名付けてそう呼んでいる病気である。別に僕は医者ではないので、本当にそういう病気があるかは知らないし、あったらそっちが正しいので、誤解の無いように。で、多くの人が煩っているなぁ、と僕の感じている病、生クリーム病について。
みんな、生クリーム好き過ぎるだろう、と思う。まさに過ぎる。摂取しすぎている。昨今の流行ロールケーキを見る限り、ロールケーキなんて生クリームが多ければ多いほど良くて、薄いほど良い、なんて風潮に見える。
今から10年ほど前、シュークリームにハマったことがあった。とにかく見つけ次第ケーキ屋のシュークリームを片っ端から食べていくことに決めて、毎日のように食べていた。ところがある日気づいたのは、バランスが悪いやつのほうがウケが良いということだった。中に入っているカスタードクリームが多ければ多いほど良く、皮が薄いほど良い、という風潮だと気づいた。売れているシュークリームになるとそればかりで、ちょっとマシなケーキ屋にいっても、皮がうまいところはなかなかなかった。そんなシュークリームが続いたある日「そんなに好きならカップにカスタードクリームだけ入れてストローで吸ってろボケ」と逆ギレし、シュークリームを食べるのをやめた。同じように、寿司でネタが大きければ大きいほどお得、コストパフォーマンスが良いなどと評する風潮がある。はっきり言うが貧乏舌なだけだ。
自分が生クリーム病であるという自覚をしてくれ。そうすればもうちょっとマシなケーキが増えるんじゃないか、とそんな希望を持っている。

頭の中の1000円札

散歩をしていて、ふと財布を家に忘れてきたことに気づいた。家のテーブルの上に置きっぱなし。まあ、近所の散歩だし困るわけでもないか、と思いポケットに手を突っ込むと、紙きれが手に触れた。瞬時に思い出す。そうだちょっと前にこのジャケットのポケットに1000円札を入れた記憶がある。何かのおつりだったか覚えてないが。ポケットの中に1000円ぐらいあるんだから、喉が渇いたらカフェにでも行けばいいや。いざとなったらタクシーにだって乗れる。そう思って散歩を続けた。
家に帰ってきてテーブルの上に財布が置かれていた。僕はポケットから1000円札を取り出そうとすると、出てきたのはレシートだった。1000円札は入っていない、レシートだけだった。そうだ、あの金は、あの日コンビニかなんかで使っていたんだったっけ。
散歩の最中はたしかに1000円札だと思えたが、帰ってきて触ってみるとなぜこれが1000円札だと思えたのか不思議でならない。どうやったって勘違いしない感触の違いがある。それなのに、あのときはたしかに1000円札だと思えたのだ。
そう、思い込んだ。
思い込んでいるものがたしかに存在している瞬間がある。そいつの頭の中にだけ存在している1000円札だ。それによって人の行動が変わったり、具体的な影響さえある。わかりやすく1000円にしたが、人が信じているものは具体的なものばかりじゃなくて、悪霊だったりお守りだったり愛だったり放射性物質だったりタバコだったりする。

他人の夢の話ってだいたい面白くないだろ、フツー。

へんな夢を見た。僕はほとんど夢を見ない(覚えてない)ので、メモっておこう。
僕は中学生ぐらいで、幼い弟と妹がいる。妹は4歳。両親は家にいない。大学生ぐらいの女性が僕らの面倒を見ている。家政婦らしく、彼女は家族ではない。とても面倒見の良い女性で、全員がその女性を慕っている。
ある日、妹と女性が夜中の3時ぐらいに買い物から帰ってきた。妹はお菓子を持っていてご機嫌だった。女性も家庭用の消耗品を両手いっぱいに抱えていた。話を聞くと、明日は家に来ることができないので、事前に買っておこうと思った、と言う。妹は夜泣きをしていたので、連れ出したそうだ。
四方が本に囲まれた薄暗い部屋で、僕はソファに座り、向かいにその女性が座っている。弟は部屋の隅から僕と女性の顔を伺うように見ている。不安そうだ。
僕は静かな口調で言った。
「こんな夜中に買い物なんておかしいでしょう」
「ええ、でもどうしても買っておかないと足らなくなると思ったんです」
「あなたの労働時間は過ぎています。労働力が足らないなら人を足しますから、そう言ってください」
「でも」
「それから妹について。こんな夜中に、4歳児が町中を歩いていることを不自然に思いませんか?」
「すいません、でも泣き止まなかったんです。それにk4さん、古いですよ。こんなのを見たことがあります。私が見たい映画のロードショーに小学校低学年の子が来ていて、話を聞いたら、朝の4時に家を出たって言ってました」
「その滅多にいない子供を基準にして、夜中の3時に4歳児が道ばたを歩いているのは不自然ではない、と主張するんですか?」
「それは…その…」
「あなたは自分のとった行動が冷静であり、他に配慮されている、と本当に思ってその主張をしていますか? 僕はあなたの雇用主である僕の親にそのことを報告しても、胸を張って同じことが言えますか?」
「すいませんでした」
「謝罪が欲しいわけではありません」
「怒ってますか?」
「あの…僕が怒ってるかどうかになにか関係があるんですか? 僕が怒ると問題は解決しますか?」
「怒ってますよね、すいませんでした」
「僕は怒ったほうがいいんですか? 謝罪が欲しいわけではない、と言うのは2回目です」
「どうしたらいいですか。私はクビですか」
「…あなたは、自分の雇用が気になって言ってるんですか? あなたがちゃんと仕事をしてくれていることはわかっています。僕らのために時間外勤務をして買物をしてきてくれたこともわかるし、妹のことを思っての行動だというのも理解しています。感謝もしている。でもいいですか。もし夜中にあなたが事故に遭ったり、暴漢に襲われたら、妹では助けられない。あなたは女性なんですよ。日本は平和ですが、かならずしも安全とは言えません。もっと自分を大事に扱ってください」

そして目が覚めた。まったくなんでクソまじめに夢の中で他人を説得しなきゃならないんだ。しかも夢の中の僕は後半の途中ぐらいからめんどくさくなってきてるぞ。ふと時計を見る。夜中の3時だった。ドアが開く音がした。たぶん二人が帰ってきたのだろう。僕は目を閉じた。

誰が美を定義したのか?

オッドアイの猫がいた。それを見た男が話しかける。「君の瞳はきれいだね」猫はにゃあとだけ鳴いた。
犬の話をしよう。犬は人類の進歩とともに存在している最も古いペットだ。ある犬種は、美犬コンテストで入賞するために、品種改良で耳が長く作り出された。それから100年が経ち、犬の耳は地面にこすれるほどになった。コンテストの入賞には耳が地面にこすれる犬ばかりが並んだ。しかし地面にこすれてそこから感染症を患うケースが増えてきた。
ある犬種は闘犬だった。そのため皮や脂肪が厚い品種改良が成された。闘犬はその品種ばかりになり、周囲の闘犬も同じようになっていった。皮膚が厚く、自分の体重が増えてしまい、やがて成人病と言われる病気にかかりやすい犬になった。脂肪が厚すぎて、自力での交配や出産に支障を来した。
最初は障害のようなものだったはずだ。だが人間が「それはきれいだね」と言った。だからそればかりを人工的に増やした。自然ではない、不自然さだ。だが美しいとは、そういうことだ。人間が作り出した。それによって生まれた生物は生きるのが辛くても仕方が無い。残酷な話だ。そしてその残酷さを好んでいる。
オッドアイの猫は「その美は君が感じているだけのことであって、君の中にある美しさだ。私には関係が無い」と答えた。人はにゃあとだけ聞こえた。

希少を優先する理由は、貧しさからだ

いつだったか。もうかなり昔の事だ。
多くの本を売り払った事があった。そのときに手元に残してあったのは、二度と出版される事がないであろう希少本だ。傑作と呼ばれる本は、わりとすぐに手に入る。とくに漫画なんかはそうだ。だから今、この瞬間、手元になくても、読みたくなったらすぐに読める。そう思って売り払った。
ところがこの希少本というものは、本来の目的から少しずれたものであるということを後日気づく。というのも、希少だということは人気がないわけで、それもたいして面白いものではない、ということだ。希少だ、というだけしか価値がない。そんな本ばかりが手元に残ってしまった。
いつだったか、アイスクリームを食べまくることに決めた時期があった。毎日コンビニでアイスクリームを買ってきて片っ端から食べる。するとだんだんいつも出回っているもの、良く見かける人気のものは食べなくなり、今日食べないとなくなってしまう大しておいしくないゲテモノばかり食べるハメになる。
希少というのを優先してはいけない。
オタクだからだろうか。みんなが既に見ていて、絶賛されているものというのは、いつでも手に取ることができるから後回しでもいいだろう、と思って、いまだにまどマギも見ていない。
Kindle寄生獣を読んで、ひさしぶりに思い出した。
もう何年も前に所有していて、結局場所の問題で売り払ったが、やはり面白い。